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SS山岳部隊

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    2010.02.09 | Photo Equipment

    Camera Tripod

    ドイツ軍で用いられていたと思しきカメラ用の三脚である。
    以前紹介したZeiss Ikon製の木製三脚とは異なり、金属製の簡素な作りで、中古カメラ店のワゴン等で¥500-とかで売られていたりするのを見かけるような、何の変哲もないスタイルである。

    三脚自体は、ヘッドの部分に「1940」の刻印があるので、1940年製であると思われるが、特に軍関係の刻印がある訳ではない。
    一方、この三脚が収まっていたケースには、ヴァッフェンアムトの刻印と「1938」の刻印が見られ、ケースは1938年製であるようだ。
    まあ、この手の刻印は後からいくらでも入れられるし、本当にこの三脚が元々このケースに納まっていたのか? という疑問もあるが、ケースの作りは軍用っぽい(特にストラップ)し、三脚も1940年のドイツ製であることには間違いないので、当時の戦時報道部隊等で使用されていたと考えても特に矛盾はないように思う。

    この種の三脚は携帯には便利だが、自重が軽く、華奢なため、安定性に関しては当然ながらZeiss Ikon製の木製三脚のような大型でそれなりの重さがあるものの方が上である。中判、大判カメラと組み合わせるというよりは、やはりLeicaやContaxのような小型カメラと組み合わせて、機動力を発揮するような使い方が向いているだろう。

    独軍用三脚。

    伸縮式の足を収納した状態。
    ご覧のように、スタイルとしては一昔前の典型的な小型三脚である。
    足は3段階に伸縮する。

    三脚頭部の刻印。

    三脚自体には特に軍用であることを示すような刻印は入れられておらず、頭部にメーカー名と製造年と思われる「1940」の文字が刻まれているのみである。

    ネジは勿論大ネジ。

    三脚ケース。

    黒革製でベルト用ループを備える等、こちらは軍用といった感じ。
    特に付属のストラップは、雑嚢用ストラップ等と似た様な素材で出来ている。

    ヴァッフェンアムト刻印。

    ケースにはご覧のように、アムトの刻印と製造年刻印が入れられている。
    三脚は1940年製だが、ケースは1938年製のようだ。
    従って、元々この三脚がこのケースとセットになって支給されていたのかどうかは疑問。
    三脚のサイズは決まっているので、この手の伸縮式小型三脚なら、大抵このケースに収まると思う。

    2010.01.22 | Photo Equipment

    Contax III


    近年、SS戦争報道部隊員に対する支給品リストが発見され、その一例としてノイマンSS少尉に支給された機材一覧を先に紹介したが、これは小型カメラのLeica IIIbと中判カメラのPlaubel Makina IIとから構成されていた。

    Leicaはドイツが世界に誇る、E.Leitz社製の優れた35mm判レンジファインダーカメラであるが、同ジャンルのカメラとしては、Carl Zeissのカメラ部門であるZeiss Ikon社のContaxもまた有名である。LeicaとContaxは当時の世界において、35mm判カメラの双璧を為す存在であったと言っても過言ではない。

    当時のSS戦争報道部隊員を写した写真から、Contaxもまた使用されていたことは既に知られていたが、こちらもそのことを裏付ける資料が発見されている。
    クルトエッガース連隊のメルツSS軍曹に支給された機材は以下の通りであった、

    1 Ledertasche fuer Photoausruestungsgegenstaende(機材収納用革鞄)
    1 Kameratasche fuer Contax Leder(Contax III用速写ケース)
    1 Contaxgehaeuse mit elektrisehem Belichtungsmesser Nr.34736(Contax III)
    1 Sonnar 1:1.5 F=5cm Nr.2554701(Sonner 50mm f1.5 標準レンズ)
    1 Weitwinkel “Biogon” 1:2.8 F=3.5cm Nr.2471261(Biogon 35mm f2.8 広角レンズ)
    1 Triotar 1:4 F=8.5cm Nr.2404365(Triotar 85mm F4 望遠レンズ)
    1 Belichtungsmesser “Bevi” mit Lederetui(Bevi電気式露出計、革ケース付)
    1 Lederbeutel mit Filme(フィルム用革ケース)
    1 Kontaktmappe(印画紙用ホルダー)
    1 Leihempfangsschein der GruppeBild(集合写真受領書)

    (山下英一郎著『制服の帝国ーWWIIドイツ軍装写真集1「武装SS」』新紀元社 2005、P.106より)

    「Contaxgehaeuse mit elektrisehem Belichtungsmesser」とは、「電気露出計付Contax」という意味で、これはContax IIIを意味している。 Nr.34736という製造番号からすると1936年製の発売間もない頃のロットであると思われる。

    ノイマンSS少尉と異なり、メルツSS軍曹にはContax III一式のみが支給されていたようで、必ずしも小型カメラと中判カメラとがセットで支給されていた訳ではないらしい。恐らく、基本的にはLeicaやContaxのような35mm判カメラが全員に支給され、各部隊に派遣されるグループ毎に何台かの割合で中判カメラや大判カメラが支給されていたのだろう。

    また、興味深いのは、Contax IIIには露出計が搭載されているのに、別途単体で露出計が支給されている点だ。しかもそれは、ノイマンSS少尉と同じ「Electro Bevi」という機種である。SSではこの露出計を標準装備にしていたのだろうか?

    ●Contax III

    当隊ではこのメルツSS軍曹への支給品リストが発見される前から、Contax IIIを主に露出計として使用していた。つまり、Contax IIIで測光し、Leicaで撮影していた訳だ。
    勿論、当時の写真にてContax IIIの使用実績があるのは分かっていたのだが、それが官給品なのか私物なのかは判断のしようもなく、こうして文書にて支給されていたことが判明したのは嬉しい限りである。

    Contax IIIは、Zeiss Ikon社より1932年に発売されたContax Iの後継機種で、1936年に発売されたContax IIにセレン式の電気露出計を搭載したモデルである。現代のカメラのように、露出計とシャッタースピード、レンズの絞り値は連動しておらず、単にカメラの上に露出計が乗っているだけなのだが、当時としては非常に先進的且つ画期的な機種であった。何しろ露出計搭載は同じZeiss Ikon社が1935年に発売したContaflexに続く、世界でも2例目の存在なのである。

    Leica IIIシリーズ同様のレンジファインダー式カメラであるが、その機構はより先鋭的で、いかにもドイツの工業製品といった趣きがある。
    まず、レンジファインダーは、Leicaが測距用ファインダーとビューファインダーが別々の複眼式であるのに対し、Contax II/IIIでは、ビューファインダーの中心部分に測距用の二重像を投影する単眼式で、これはM型ライカ等の現代のレンジファインダーカメラでは当たり前となっている機構である。基線長もLeicaの38mmに対して98mmと長く、より高精度である。
    レンズマウントもLeica IIIがネジ込み式なのに対し、ワンタッチで着脱できるバヨネット方式を採用している。これも現代では当たり前の方式であり、1930年代にこれを実現していたContaxの先進性が伺える。
    シャッターは商店のシャッターをそのまま縮小したような、細長い金属片を綴り合わせたもので、高い工作精度無しには成立し得ない複雑な機構となっている。
    また、ボディ前面には、現代のカメラでは必須装備となっているセルフタイマーが搭載されている。当時のLeicaでは、特注で組み込むか、レリーズ上に適宜外付けという対応であった。

    当時としては複雑で、オーバーテクノロジー的先進性を持った内部機構であった割に、堅牢で壊れにくいという点も軍用として採用される大きな要素であったと思われる。ただシャッターだけは、一旦壊れてしまうと修理するのは難しく、特に1/1000秒といったハイスピード時に正しく作動させるようにするのは一苦労だったと言う。

    Contax IIIは1936〜1942年にかけて、38,000台が製造された。
    Leica IIIc等と比べるとかなり少ない数だが、これはLeicaと比べて複雑な構造である上に、電気式露出計を搭載している等、製造コストが高く量産には向かなかったからだと思われる。

    尚、戦後Zeiss Ikonの工場を接収したソ連は、ラインごと残っていた部品等を持ち去り、ウクライナにてContax II/IIIの組立てを行った。部品が底をついた後は、その生産設備を利用したコピー品の製作を始め、1980年代後半まで、Contax II/IIIのコピーを造り続けていた。これが「KIEV(キエフ)」である。
    工作精度や組み付け精度に甘さはあるものの、正にContax II/IIIそのものであり、特にContax IIIのコピー品であるKiev III/IIIaに搭載されているセレン式露出計やシャッター等は、本家Contaxのレストア用の部品として重宝されている。

    Contax III。

    同じ35mm判のレンジファインダーカメラであるが、Leicaとは随分異なった武骨な雰囲気である。
    細い金属片を日本の鎧のごとく綴じ合わせたシャッターに注目。

    軍艦部上に乗っている四角い部分がセレン式電気露出計である。

    Contax III軍艦部。

    露出計のメーターが印象的。
    背面のアイピースも現代のカメラと同じく単眼式のため、一つのみとなっている。

    1936年当時に、こうした電気式露出計搭載のカメラが企画されたのは、同年発売されたアグファ社のカラーフィルムに対応するためらしい。当時のカラーフィルムは露出に厳しく、正確に測光する必要があった。

    製造番号は88815で、直前に打たれているアルファベットが「C」であることから、1936〜1937製造であることが分かる。

    セレン式露出計。

    普段は蓋を閉じておき、必要な時に蓋をあけて使用した。
    黒い縦線が入った部分がセレン素子の受光部で、ここが光を感知すると軍艦部上のメーターに値が反映される。

    Sonnar 50mm F2.0。

    Contax用の代表的な標準レンズ。
    F1.5とF2.0の2種類があり、これはF2.0の方。

    当時の世界最大/最先端の光学機器メーカーであるCarl Zeiss社製だけあって、Leica用の同クラスのレンズと比べ、F値がより明るくハイスペックである。F1.5は当時としては驚異的な明るさのハイスピードレンズである。因みにLeica用標準レンズのElmar 50mmはF3.5、Summitar 50mm、Summar 50mmはF2.0であった。

    F値は小さい程明るく、より速いスピードでシャッターを切ることができる。
    まだまだ感度が低かった当時のフィルム(カラーでISO25〜50、モノクロでISO50〜100程度)では非常に有利である。

    海軍用を示す刻印。

    「MF◯◯◯」は、海軍の備品であることを示す刻印。
    従って、このゾナーは海軍で用いられていた軍用レンズということになる。

    その左側に刻印を削った跡があるが、ここには本来アドラーが刻まれていた筈。
    戦後、ナチとの関係を嫌って削り取ったものと思われる。

    Contax III用速写ケース。

    露出計を搭載したContax IIIに対応したZeiss Ikon社製の純正品である。
    メルツSS軍曹に支給されたケースもこれと同じ物であったと思われる。

    アクセサリー類。

    左から、Electro Bewi露出計、フィルムカセット、Sonnar 50mm用緑色フィルター。
    Electro Bewi露出計はメルツSS軍曹だけでなく、ノイマンSS少尉にも支給されていた。

    Contax用フィルムカセット。

    中には金属製のフィルムカセットが入っていたが、現在フィルムと共にContax IIIの中に入っているので、撮影できず。代わりにContax IIIから外したフィルム巻き取り軸を入れて保管。
    バルクのロールフィルムを切って使用する際等に利用する。

    Sonnar 50mm 用緑色フィルター。

    枠に「Zeiss Ikon Stuttgart」の刻印がある純正品であるが、この銘のものは戦後物。戦前〜戦中モデルは「Zeiss Ikon Jena」。
    他に黄色、赤フィルターがあり、枠もクロームではなく黒仕上げのものも存在した。

    2010.01.22 | Photo Equipment

    Leica IIIcK


    当隊隊員が所有するLeicaの中で、一番「軍用っぽい」ルックスをしているのが、このLeica IIIcKグレーモデルである。

    特に軍やSS関係の刻印がある訳でも、資料によって軍で使用されていたことが判明している訳でもなく、単に色がグレーなので軍用っぽいというだけの話しなのだが、独軍装に一番似合うLeicaであることに異論はないだろう。

    ●Leica IIIcKについて

    Leica IIIcKは、戦中型IIIcにベアリングシャッターを搭載したモデルで、1942年より製造が開始された。しかし、1942年以降、全てのIIIcがIIIcKに切り替わった訳ではなく、通常のIIIcも平行して生産されていた。

    ベアリングシャッターの搭載は、熱帯や寒冷地、高高度を飛行する航空機内等の極端な気温条件下でのシャッター動作の確実性を確保するためのもので、特に寒冷地でグリスが凍結して動作不良を起こすという問題に対処したものだと考えられる。

    こうした気温変化に対する試みとしては、IIIcの1940~41年のロットの機体の一部に赤いシャッター幕が搭載されことを「Leica IIIc」にて述べたが、これは当時唱えられていた「色によって蓄熱/放熱効果が異なる」とする説に基づいたもので、特に赤が放熱効果が高い(遠赤外線効果の逆のような感じ)とされていたことから、赤幕が採用されたものと考えられる。同じ理論に基づくものとして、アフリカ戦線の将兵に支給された赤い内張を持つ防暑帽や略帽があり、いずれも1940年に製造されているのが興味深い所である。

    このアフリカ戦線向けの帽子類の例から類推すると、赤幕は太陽光線に対するシャッター幕の保護と、熱の蓄積によるフィルムの変質及び発火を防ぐためのものであったと思われる。しかし、実際には想定されたような効果を発揮しなかったことから、帽子の赤い内張は廃止され、赤幕も同様に効果を発揮しなかったことから短期間で適用が中止されたのではなかろうか。
    赤幕モデル生産中止の翌年の1942年にIIIcKがリリースされた事を考えると、当初は、太陽光線の直射や高温に対しては赤いシャッター幕で対処し、低温に対してはベアリングシャッターで対処することで、いかなる気温条件下でも確実に使えるカメラとして企画されていたのかもしれない。

    Leica IIIcK + 赤幕。

    当初はこうする計画だったのだろうか?
    ただ、ベアリングシャッターはともかく、赤幕の効果の程は疑わしい。

    ベアリングシャッターが搭載された点を除けば、IIIcKは通常のIIIcと何ら変わる所はない。外観についても同様であるが、軍艦部上のシリアルナンバーに続いてドイツ語でボールベアリングを意味する「Kugellagar」(クーゲルラーガー)の頭文字「K」が刻印されている点と、シャッター幕に白又は赤のインキで「K」と印されている点とで識別可能である。
    しかし、製造番号391101~391300の機体はベアリングシャッターを搭載しているにも関わらず、軍艦部上に「K」刻印がない。シャッター幕にはKマークが入っているが、戦後のメンテナンスで幕が交換されてしまっている場合、外観から判別する手段はなくなってしまうのだが、上記番号帯のものは、表記はなくてもIIIcKであるので、戦中型IIIcをお持ちの方はチェックしてみて頂きたい。ひょっとしたらただの段付きIIIcだと思っていたものがIIIcKだったということがあるかもしれない。

    何故この200台に限ってKマークが軍艦部上に刻印されなかったのか、確かな理由は分からない。ただ、このロットの直後のNo.392000あたりからのIIIc戦中型や、IIIc戦後型、IIIf、IIIg型には標準でベアリングシャッターが搭載されるようになったことを考えると、以後は標準装備とするので、特別な刻印は施さないという方針によるものだったのではないかと思われる。

    尚、IIIcKはグレーモデル同様に軍用とされる事が多く、実際に最も多用したのが軍であることには間違いは無いのだが、IIIc戦中型後期生産分からベアリングシャッターが標準装備されるようになったことを考えると、純粋に軍用として開発されたのかどうかは疑問が残る。恐らくは戦時中であったため、その多くが軍に納入されたに過ぎず、本来は通常の市販品のために開発された技術ではなかったかと思われる。

    ●レニ=リーフェンシュタールのIIIcK

    2003年秋、同年101歳で逝去したドイツの女優・映画監督として著名なレニ=リーフェンシュタールが使用していたIIIcKグレーがオークションに出品された。彼女は1934年にニュールンベルグで開催されたナチ党党大会の記録映画「意志の勝利」や、1936年のベルリンオリンピックの記録映画「オリンピア」「民族の祭典」等の監督を務めた他、戦時中に宣伝省配下の戦時報道部隊に所属していた事から、ナチスのプロパガンダに加担した罪で、戦後フランスにて戦争犯罪者として裁かれるが、ナチ党党員でなかった事等から無罪となり、以後死に至るまで、映画監督、写真家としての活動を続けたことが知られている。

    そのリーフェンシュタールが1960年代後半にアフリカのヌバ族を扱った写真集「NUEBA」の撮影に使用したカメラの1台がIIIcKグレーであった。彼女は戦前よりライカを使用していたことで有名であるが、この機体は1950年代にニューヨークにて中古で入手したとされる。元々は1945年にアメリカの軍人がドイツで入手したものだと言われ、1951年にライツ社にてIIIfへの改造サービスを受けているのが特徴である。製造番号は390452Kで、彼女はこの機体のことを「IIIfK」と呼んでたそうだ。IIIfは標準でベアリングシャッターが搭載されているので、わざわざ末尾に「K」をつけて呼ばなくても良いのではないかという気がしないでもないが(どうしてもというなら「IIIfグレー」と呼ぶとか)、レニ=リーフェンシュタールのライカへの思い入れというか、こだわりが伺われるエピソードであろう。わざわざ変な呼び方してる所がマニアっぽい。

    所で、当隊のIIIcKグレーも戦後にIIIfに改造されており、見た目はリーフェンシュタールのIIIfKと全く同じである。製造番号も390628Kと176番違いで、製造ロットも同じであると思われる。恐らくこの機体も390452K同様に、アメリカの軍人によって米国にもたらされた後にIIIfに改造されたものと推察されるのだが、ひょっとするとこの機体がリーフェンシュタールの手元に渡った可能性もあったのではないか、紙一重の所で一方はレニ=リーフェンシュタールに、こちらは日本へという運命を辿ったのではないか? などと考えるとちょっと楽しい。

    因みに、リーフェンシュタールのIIIcKグレーは400万円だったか、700万円だったかで落札されたそうだが、全く同じ仕様の機体とは言え、著名人の手垢のついていない当隊の機体は、IIIcKグレーの相場よりは幾分安い値段で売られていた。恐らくIIIfに改造されてしまっていたのがマイナス評価となったのであろう。しかし、IIIcK自体の生産数が推定2000~3000台と言われており、量産品としてはかなり少ない部類であり、更にKでグレー塗装でIIIfに改造されている機体となると、数はかなり限られてくるのではないかと思われる。これに「レニが使っていたのとかなり近い製造番号」という条件を加味すると、恐らく現存しているのは数台レベルにまでなるのではなかろうか? ライカ通一般の評価の対象にはならないとは言え、そういう意味では、これはこれで結構レアな機体なんじゃないかと思う次第である。

    Leica IIIcK グレーモデル。

    大戦後半になると、カメラの表面処理に多用されていたクロームが不足するようになり、その代用としてグレーペイントが施されるようになった。このグレーは良く、「元は空軍のブルーグレーだったのが、経年変化でくすんだ色」とされるが、ボディ内側の比較的保存状態の良い部分であっても、外側と比べると若干明るい程度で、ブルーグレーにはなっていない。従って空軍のブルーグレー塗料を使用したとする説は間違いであろう。むしろ戦車や軍用車両に多用された所謂「ジャーマングレー」「パンツァーグラウ」系統の塗料が大量に在庫されていたので、これを利用したと考える方が自然ではなかろうか。

    Leica IIIcK軍艦部。

    このIIIcKグレーはNo.360628Kで、1945年のロット。
    戦後IIIfに改造されており、シャッターダイヤルとフィルム巻き上げノブがIIIfのものになっている他、シンクロ端子が増設されている。

    Leica IIIc用速写ケース。

    Leica IIIb迄の機体と比べて若干大きくなっているので、速写ケースもIIIcのサイズに合わせた若干大きなものが用意された。このケースはユニバーサルファインダーを装備した状態で収納できるタイプのもの。SS-KBでも使用されていたことが当時の写真で確認されている。

    このようにユニバーサルファインダーと50mm迄のレンズを装着したままで収納できるので便利である。

    Leica IIIcK + Hektor 135mm f4.5 + VIOOH。

    当時の記録写真で割と良く見かける組合わせである。
    135mmレンズはLeica用としてはアダプター無しで使える最長の焦点距離を有するレンズであるため、容易に被写体に近づけないような状況で活躍したものと思われる。

    ユニバーサルファインダーVIOOHは35mm〜135mmの画角に対応しており、ユニバーサルファインダー本体上のダイヤルを装着しているレンズの焦点距離に合わせることで、それに対応するマスクが視界に現れる仕組みになっている。また、パララックス(視差)補正機能も有しており、本体に装備されているビューファインダーを用いるよりは、視差を低減させることができる。

    ●Leica IIIcK図解

    シャッター幕にはこの図のように「K」の文字が、白又は赤で入れられていたが、使用する過程で剥げてしまったり、後にシャッター幕を交換したことで残っていないことも多い。

    2010.01.21 | Photo Equipment

    Leica IIIc


    Leica IIIb以外にもSS-Kriegsberichterでは、IIIcも用いられていたことが判明している。
    Leica III〜IIIb迄は外観上の差異が殆どなく、写真からどの型であるかを判別するのは難しいのだが、IIIcは後述するように、幾つかの特徴を持っているので、比較的機体が鮮明に写っている写真であれば、それがIIIcであることを識別することは容易である。

    当隊でもIIIbに加え、IIIcを装備している。
    隊員各人が所有するLeica本体を合算すると、隊全体としては以下のような装備状況である。

    Leica II ×1
    Leica III ×1
    Leica IIIa ×2
    Leica IIIb ×1
    Leica IIIc ×1
    Leica IIIc赤幕 ×1
    Leica IIIcK ×1

    この中で、数的にも使用頻度的にも主力と言えるのが、IIIcシリーズである。

    ●戦中型IIIc

    Leica IIIcは1940年より製造が開始された、機体の成形が従来の板金加工からダイキャスト製法に変更された最初のモデルである。これに伴い、寸法が縦約2mm、横約3mm程大きくなったが、重量は内部の支持部品の合理化等により、IIIbと比べて約15g程軽くなっている。また、巻戻し切替えレバー下に段差がある事から、戦後型IIIcと区別するために国内では「段付きIIIc」と俗称されている。海外では「Leica IIIc 1st model」「Wartime Leica IIIc」「IIIc Wartime model」等と呼ばれているようだ。

    IIIc戦中型を特徴づけるこの段差は、IIIbで生じた巻き戻し切り替えレバー付け根の開口部から、塵等が侵入するのを防ぐために設けられたものである。同様に巻戻しノブ基部の視度補正レバー付け根の開口部を塞ぐために、この部分にも段差が設けられている。巻戻し切り替えレバー基部の段差はIIIc戦後型から再び無くなるのだが、巻戻しノブ基部の段差はIIIg型まで継承された。

    III〜IIIbに対するIIIcのもう一つの外観上の特徴は、レンズマウント部に向けて伸びたエプロンと、これと一体成形された距離計カバーとからなる軍艦部にある。このスタイルはLマウントライカの最終機となる、1957年発売のIIIg型及び、M3、M2、M1といった初期のM型ライカに継承され、M4でエプロンが廃止される迄、レンジファンダーライカの基本スタイルとなった。

    製造年代から、IIIc戦中型は大多数が軍を始めとする政府機関やナチ党関係機関に納入されたと考えられているが、1940年当時のライツ社のカタログにはIIIcの写真と価格が掲載されており、一般のドイツ国内市場にも僅かながら出回っていたようだ。また、ドイツ国外にもスイスやスウェーデンといった中立国や、当時ドイツと良好な関係にあった南米諸国に若干数が出荷されたことも知られている。敵対関係にあった英国軍用としてIIIcが存在している事も知られているが、これは恐らくそういった国々から買い付けたか、戦場でろ獲したものではないかと思わる。
    日本にもUボートで様々な兵器類と共に、30台程度のIIIcがもたらされたとする説がある。これらのIIIcは日本海軍の報道班員に支給されたようだ。恐らく当時の軍の記録等を丹念に調べれば、日本向けIIIcの番号帯を記した記録が見つかるかと思うのだが、現時点では全く不明である。従って、市場に流通しているIIIc戦中型の中にはこうしたエピソードを持つ機体が人知れず存在しているのかも知れない。

    ●戦中型IIIcヴァリエーション

    製造期間も長く、生産数も多かった戦中型IIIcには幾つかのヴァリエーションが存在しているが、その形状から、初期型と中期型と後期型に大別される。

    初期型は底蓋開閉キーが戦後のIIIcやIIIfのような鍵型をしているのと、ボディ前面の低速シャッターダイヤルに誤作動防止用のストッパーボタンが無いのが特徴である。この鍵型の開閉キーを持つ機体は1940年のロットのものに限られる。

    中期型は底蓋開閉キー形状がIIIb以前の型のような円形となり、ストッパー無しの低速シャッターダイヤルを有するのが特徴。

    後期型では底蓋開閉キーは引き続き円形だが、低速シャッターダイヤルの12時部分に小さなストッパーボタンが装備され、これを押しながらでないと、低速シャッターダイヤルを回転させられないようになっている。この低速シャッターダイヤルのストッパーボタンは戦後型IIIcの特徴と思われがちなのだが、IIIc戦中型の後期生産分から採用され、これ以降、IIIg型迄引き継がれている。

    また、戦中型IIIcには多くのドイツ軍用モデルがあることが知られている。「Heer」乃至は「Heers Eigentum」刻印入りの陸軍用、鷲章と海軍を示す「M」の文字との組合せの刻印の入った海軍用、「Luftwaffen-Eigentum」と「Fl No.3908」刻印の入った空軍用等である。これらは単に刻印上の違いだけで、内部機構は通常のモデルと特に変わる所はない。

    軍用以外のヴァリエーションとしては、耐温度変化性能実験のために赤いシャッター幕を用いた「赤幕」モデル、クローム節約のためにグレー仕上げとしたグレーモデル、赤幕同様に温度変化への対応を目的として、ボールベアリングをシャッターに組み込んだ「IIIcK」等がある。グレーやIIIcKモデルは「軍用」とされる場合が多く、実際にそれらのかなりの部分は軍で使用されたと考えられるのだが、いずれもクロームの節約や温度変化への対応といった実際的な理由によるものであり、必ずしも軍用として生産された訳ではないと思われる。

    その他、戦中型IIIcにセルフタイマーを組み込んだIIId型や、若干の改良を施して戦後生産された戦後型IIIcもヴァリエーションの一つと言えるだろう。

    Leica IIIc 赤幕モデル。

    独軍は防暑帽の裏張りを放熱効果を期待して赤や緑にしていたが、恐らく同じ理屈でシャッター幕を熱変化から守る目的で赤い素材が採用されたものと思われる。素材は米コダック社製の赤いシャッター幕で、パラシュートクロスのように目の詰まった生地である。大戦の開始と共に米国からの供給が途絶えた事に加え、期待されたような効果が無かったことから、1940年のロットを中心に、ごく少数が生産されるに留まった。

    Leica IIIc軍艦部。

    この赤幕モデルはNo.362829で、1940年のロット。
    No.360101〜367000の6900台が生産され、赤幕モデルの多くはこのロットであるようだ。

    戦中型IIIcの特徴である、巻き戻しノブと巻き上げ/巻き戻し切替レバー下の段の形状が良く分かる。


    段付IIIcの段が生じた理由。

    それぞれ左がIIIbで、右がIIIc戦中型。
    IIIbで距離計ハウジングの背が若干高くなった為に、巻戻し切り替えレバーと視度補正レバーの基部の距離計ハウジング部に、これらのレバーと内部機構とを連結する開口部が生じた。IIIc型ではこの穴を塞ぐために段差が設けられた。

    スローシャッターダイヤル形状の変遷。

    左は1940年製No.362829、右は1945年製No.390628Kのもの。
    1945年製のIIIcのスローシャッターダイヤルには、このように12時方向にストッパーが装備されている。


    底蓋開閉キー形状の変遷。

    左は1940年製No.362829、右は1945年製No.390628Kのもの。
    当社は鍵型だったのが、後に円形に簡略化されている。

    ●戦中型IIIc図解

    2010.01.21 | Photo Equipment

    Photo equipment


    当隊では活動記録をデジタルカメラだけでなく、当時のSS戦争報道部隊(SS-Kriegsberichter : SS-KB)が使用していたものと同型のフィルムカメラも用いて撮影している。

    SS-KBで使用された撮影機材としては、隊員の証言や、彼等自身を撮影した写真に写り込んでいたものから、LeicaやContaxといったドイツ製の35mmカメラ等が使われていたことが知られていたが、近年、支給機材一覧を記したドキュメントが発見され、彼等の撮影機材に関する研究は大きく進展することになった。
    その一例として、クルトエッガース連隊のノイマンSS少尉に支給された機材を紹介すると、

    1 Leica Nr.347514(Leica IIIb)
    1 Hektor Leitz 2.8cm Nr.531118(Leica用28mmレンズ)
    1 Elmar 3.5cm Nr.493524(Leica用35mmレンズ)
    1 Summitar 5cm Nr.525053(Leica用50mmレンズ)
    1 Hektor 13.5cm Leitz Nr.575229(Leica用135mmレンズ)
    1 Gegenlichtblende f. Elmar(Elmar 35mm用レンズフード)
    2 Universalsucher(Leica用ユニバーサルファインダー)
    2 Gelbfilter(Leica用黄色フィルター)
    7 Filter(Leica用フィルター)
    2 Gegenlichtblenden(Leica用レンズフード)
    1 Sportsucher(スポーツファインダー)
    1 Wildlederbeutel(Leica用速写ケース)
    1 Optik f. Plaubel 10cm Nr.111493(Makina II、100mmレンズ付)
    1 Weitwinkel f. Plaubel Nr.108477(Makina II用広角レンズ)
    1 Teleobj. 19cm Nr.110136(Makina II用190mmレンズ)
    1 Makina Gegenlichtblende(Makina II用レンズフード)
    3 Makina Gelbfilter(Makina II用黄色フィルター)
    4 versch. Filter(Makina II用フィルター)
    2 Ledertaschen fuer Plaubelfilter(Makina IIフィルター用革ケース)
    2 Rollfilmkassetten f. Plaubel Makina(Makina II用フィルムカセット)
    1 Sucheraufsteckklappe f. Weitwinkel(Makina II用ファインダー取付金具)
    1 Belichtungsmesser Elector-Bewi Nr.3809(Electro Bewi電気式露出計)
    3 Drahtausloeser(ケーブルレリーズ)
    1 Stativzwischenstueck(三脚)
    1 Geraetekoffer (機材収納ケース)

    (山下英一郎著『制服の帝国ーWWIIドイツ軍装写真集1「武装SS」』新紀元社 2005、PP.104-105より)

    35mm判の小型カメラであるLeica IIIbに加え、中判カメラのPlaubel Makina IIも支給されていたことが分かる。恐らく撮影シーンに応じて使い分けていたのであろう。

    このリストに基づき、手持ちのコレクションから該当する機材を集めてみたのが上の写真である。
    Makina II用の広角レンズや望遠レンズ等、まだまだ足りない機材もあるが、当時のロットで程度が良い物を揃えるというのは中々思うように行かないものである。
    しかし、どうせ使うのであれば、確実に当時使われていたことがプルーフされている機材を用いたいと思うので、今後もリストのコンプリートを目指して収集を続けて行きたい。

    Leica IIIb。

    Leicaは軍艦部上に刻まれた製造番号から、機種とロットを調べることが出来る。
    ノイマンSS少尉に支給された、「Leica Nr.347514」は、1939〜40年製造のLeica IIIbである。

    IIIbは、それ迄のIII及びIIIaではそれぞれ別パーツとして離れて配置されていたレンジファインダーとビューファインダーのアイピースが一体型となり、それまでアイピース上にあったレンジファインダー用の視度調整レバーがフィルム巻き戻しノブ基部に移されたのが特徴である。

    Leica IIIb軍艦部。

    当隊のIIIbは、No.347442で、ノイマンSS少尉のものとは72番違いの同一ロットの機体である。
    このロットは1939〜40年にかけて、No.344001〜348500迄の4500台が製造されている。
    SSがどのようにLeicaを調達したのかは不明であるが、E.Leitz社から直接、必要数を纏めて購入していたのであれば、SS-KBで用いられていた可能性も考えられる機体である。

    ウィーンのカメラ店にて購入。

    撮影状態のLeica IIIb。

    標準レンズであるSummitar 50mm f2.0と専用の折りたたみフードを装着し、軍艦部のアクセサリーシューにユニバーサルファインダーをとりつけている。この場合、ピント合わせはLeica本体で行い、撮影範囲はユニバーサルファインダーで確認しつつ撮影する。

    Leica III用速写ケース。

    Leica II〜III、IIIa、IIIb対応の純正革ケースである。
    機体サイズがやや大きくなるIIIc以降の機体には、同デザインで若干大きなものが用意されている。

    Leica用レンズ群。

    左からElmar 35mm f3.5(広角)、Summitar 50mm f2.0(標準)、Hektor 135mm f4.5(望遠)とそれぞれのレンズ用のフィルターとフード。

    ノイマン少尉には広角レンズとして、より画角の広いHektor 28mm f6.3も支給されていた。

    Leica用レンズも製造番号からロットを割り出すことが可能で、ここに写っているレンズとアクセサリーは全て戦前〜戦中ロットの製品である。

    Elmar 35mm f3.5。

    LマウントLeica用の代表的な広角レンズである。
    現在もスナップショット用として人気があり、アダプターをかませてM型ライカ等で使用している人も多い。製造数が多く、市場に多く出回っているが、戦前〜戦中ロットでインジケーターがメートル表示の大陸仕様で且つ程度の良い個体は減りつつある。

    レンズの上に見える黒い物体は、専用のレンズフード「FLQOO」。黒とクロームの2種が生産されたが、黒仕上げのものは稀少。

    レンズの下に並んでいるのはフィルター。一番右のものは当時の枠にUVフィルターをはめたもの。

    Summitar 50mm f2.0。

    LマウントLeica用の代表的な標準レンズ。
    これの後継機種にあたるSummicronは名玉の誉れが高い。

    F値が2.0と当時においては高速レンズの部類で、Elmar 50mm f3.5やSummar 50mm f2.0といった他の標準レンズと比べてシャープな写りになるのが持ち味。

    レンズの上にある黒い板は専用の折りたたみフード「SOOPD」。蓋になっているフード側面部分を外に開くと、押さえられている上下部分がバネ仕掛けで起き上がり、展開する仕組み。

    レンズの下にあるのは専用フィルター。当時の枠にUVフィルターを嵌めている。

    Hektor 135mm f4.5。

    LマウントLeica用の代表的な望遠レンズ。
    レンジファインダー式Leicaでアダプター無しで使えるものとしては、もっとも焦点距離の長いレンズである。

    レンズの上に見えるのが伸縮式フードの「FIKUS」。スライドさせることで、35mm〜135mmレンズ迄対応する万能フードである。

    レンズの下にあるのはフィルター。当時の枠にUVフィルターを嵌めている。

    Leica用ユニバーサルファインダー。

    右は旧型の「VIDOM」。像が左右逆像になる。
    左は新型の「VIOOH」。こちらは正像である。

    日本ではLeica用ユニバーサルファインダーをいずれも「VIDOM(ヴィドム)」と呼ぶ風潮があり、前者を像が逆像になることから「逆像VIDOM」、後者を「正像VIDOM」と呼ぶことがある。

    いずれも足元のダイヤルで被写体までの距離を設定し、本体上のダイヤルを装備しているレンズの焦点距離に合わせることで、レンズの焦点距離に応じた、より視差の少ない視界を得られるよう工夫されている。

    Plaubel Makina II。

    独プラウベル社製の中判カメラである。
    前掲の資料に出会うまで、SS-KBで用いられていたとは思いもしなかた機種である。
    プラウベル社のカメラも製造番号から機種を割り出すことが出来、ノイマンSS少尉に支給された「Nr.111493」は、Makina IIである。

    100mmレンズが装着されているが、35mmカメラでは望遠となるこの焦点距離も、中判カメラでは標準レンズである。ちなみにこの機種では、シャッターはレンズ側に組み込まれている。

    Makina II一式。

    Makina IIのパッケージと内容一式。
    予備のフィルムホルダー、取説等が入っている。

    ノイマンSS少尉には、広角レンズとしてRapid Weitwinkel Orthar 73mm F6.8、望遠レンズとしてTele Makinar 190mm f4.8レンズが支給されていたが、いずれも未入手。
    Leica用レンズと比べると製造数が少ない上に不人気なので、余り市場には出回らない。

    ちなみにプラウベル社は1970年代に「カメラのドイ」のドイグループに買収され、70年代後半〜80年代にかけて、プラウベルブランドのカメラは日本で製造販売されていた。

    Electro Bewi電気式露出計。

    当時の露出計は、単なる露出チャートに毛が生えたような機械式のものが主流であったが、これは光を浴びると発電する性質を持つセレン素子を用いた電気式の露出計である。流石に現在この方式の露出計は姿を消したが、当時としては画期的な製品であった。

    使用状態のElectro Bewi露出計。

    蓋の部分の円筒形の部品の中にセレン素子が収められており、この部分を被写体に向けることで、その光量によってメーターが左右し、得られた数値から換算表を参照して適切な絞り値とシャッタースピードを割り出すことができる仕組みになっている。

    Zeiss Ikon製三脚。

    光学機器で有名なKarl Zeiss社のカメラ部門であるZeiss Ikon社製の木製折り畳み三脚。
    ノイマンSS少尉にどのような三脚が支給されたのか、リストから伺い知ることはできないが、以前入手した金属製の伸縮式三脚にたまたまヴァッフェンアムトの刻印が入っていたことがあるので、もしかするとそのタイプだったのかも知れない。

    どこにしまったのか行方不明なので、発掘し次第、紹介したいと思う。

    Zeiss Ikon刻印。

    Zeiss Ikon製の三脚は割と珍品の類である。
    特に戦前〜戦中の木製三脚で使える状態にあるものは滅多にお目にかからない。
    今後も手入れをしつつ、大事に使っていきたい。