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SS山岳部隊

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    第1回野営演習

    シュタウSS狙撃兵

    給食の配給を受ける為、食器を携えテントから出る筆者。

    独軍装備による野営と、本格野戦料理とで、満ち足りたマニアライフを送る事ができた。

    食器からタオル、ヒゲソリ、毛布にいたるまで全てWW2独軍の物か、その同型品を用いて生活し、テントの張り方等の野営の基礎を習得した。

    99/03/20 第一日目

    1999.3.20。
    小官の記念すべき40回目の誕生日の今日、まるで小学校最初の遠足の日のように興奮し前夜は眠れなかった。
    いよいよ待ちに待ったシュバルツ!野営訓練の当日だ。
    今回の目的は第二次大戦当時のドイツ軍の戦場での食事を再現し体験するもので、メニューや食材の研究、調達に関しては連隊長とノードSS高級小隊指揮官があたられた。
    天候は欧州東部戦線を彷彿とさせる曇天、山間部は驟雨、夜には霙、雪との予報もある絶好の耐久訓練日和である。今日こそ冬期迷彩防寒アノラックの出番と胸が高鳴る。

    野営演習参加者にはマッチと煙草が支給された。
    煙草は「SPORT」と「DIMOS」の2つの銘柄から好きな方を一箱(20本)選べた。
    当時は一日7本の紙巻煙草が支給されたので、一箱20本は3日分に相当する。本演習は2泊3日なので丁度良い。

    0600を期して新小岩を発進。
    同盟軍クラフトフェルト・タニー隊長と共に一旦千葉を目指す。
    野営地は奥多摩だが、小官には重大なる任務があったのである。
    今回なんと当時支給された「ライ麦パン」が再現されたのだ。
    ライ麦の比率の高い600g/斤という非常に密度の高いパンが兵士一人あたり一日一斤支給されたらしいが、我がシュバルツのハイネケン小隊指揮官の親族の方が経営されているパン屋さんのご厚意で当時のレシピに近いライ麦パンを焼いていただいたのだ。
    その全日程、全員分の10斤を受け取るのがその任務だ。
    予定時刻通りにパンを受理した我々は反転、京葉、首都高、中央道から青梅街道をひた走り首都圏を横断するかたちで ほぼ、定刻に集合場所の奥多摩駅前に到着した。

    まもなく連隊長、ノード高級小隊指揮官、萩原少尉が到着し、すでに到着していたサキエル突撃兵とともに計6名の野営訓練参加者は、さらに奥地の野営地の海沢を目指した。

    野営地は杉の森が迫る清流の河原ですばらしい場所だ。
    早速装備と食材を降ろし、テントを設営した後、本日の分のパンとマッチ一箱、そして喫煙者にはタバコ一箱が支給された。
    マッチもタバコも共に当時の実物を参照して復元されたパッケージに入っており、雰囲気を一層盛り上げてくれた。
    物資の配給が終わると、早速昼食の準備が始められた。
    本日は行軍食の再現ということでさほど調理を必要としない物ということらしい。
    また、パンは一日分が支給され各自の背嚢や雑嚢に保管する。
    パンはずっしりと重く一食がこの三分の一だがかなりのボリュームを感じた。

    昼食(行軍食):ライ麦パン、焼きソーセージ、マーマレード、バター、コーヒー

    テント設営で一汗かいたあとの食事はおいしく、ソーセージとパンがよくあった。
    パンは見た目以上にお腹にたまる感じで満腹だ。
    ソーセージは赤城ドイツ村特製でこれが本場の味かと感激した。
    コーヒーもドイツ製で濃い味が実にパンにあう。

    今回、食器はドイツ軍の物を使用する規定なので、小官は西ドイツ軍の飯ごうとナイフ・フォーク・スプーンのセット、水筒を持参した。当時の物と形は同じである。
    飯ごうのふたにソーセージを入れて、フォークで刺して食べ、パンを囓りながら水筒のふたのカップでコーヒーをすすっていると奥多摩の森もアルデンヌの森に見えてきた。
    折から風雨は激しくなり始めた。

    午後は連隊長の命令で薪拾いだ。
    ノード高級小隊指揮官は山で鍛えた健脚で見る見る内に大量の薪を拾い集めてこられた。
    小官もがんばるが体が思うように動かず息も絶え絶えだった。
    岩の影で火をおこす。

    みんな、この火を絶やすな!

    サキエル突撃兵は執念で火の番をされている。
    徐々に冷え切った体も暖まってきた。
    東部戦線の極寒で戦った先人達を忍ぼう。
    誰からともなく歌が口をついて出てきた。
    やがて、軍歌は谷間にこだました。

    夕食(行軍食):ライ麦パン、チーズフォンデュー、白ワイン、マーマレード、バター、コーヒー

    当時の夕食は昼に比べると分量が少なかったそうだ。
    チーズフォンデュを猫舌の小官は生まれて始めて食したが、あつあつのフォンデュは体が温まり、またこういう状況下なので非常に印象的であった。
    しかし、こびりついたチーズの後始末が大変で野営には不向きとの判断がくだされたようだ。
    食後、降りしきる雨はやがて霙から雪に変わり益々激しくなった。
    濡れた薪の火の勢いは弱かったがコートやトークを身につけ寒さを凌いだ。
    ドイツ軍装は冬にその真価を発揮するとの連隊長のお言葉がまさに今、現実に体感できているのだ。

    その日は前日の不眠がたたってか早々に寝入ってしまった。
    しかし、顔、特に鼻が冷たくて目が覚めると深夜の2時。
    まだたき火が燃えている。
    サキエル突撃兵が火の番をされているのだ。
    しばらくして薪がすっかり燃え尽きテントに帰ってこられた。
    その夜小官はM36、アノラックを着用してシュラフに潜り込んで眠ったのだが、
    連隊長は毛布にコートで眠られたとのこと。
    驚異のマニア魂である。
    小官などは足下にも及ばない。

    99/03/21 第二日目

    夜明けと共に目が覚める。
    外の雨はあがっていた。相変わらずの曇天だ。
    凍り付くような川の水で顔を洗った。気持ちいい。
    ノード上級曹長は昨晩極寒のため睡眠不足だそうだが、にもかかわらず、早速 萩原少尉と朝食の準備に掛かられている。
    第二日目の今日は正規の給食(調理を必要とする食事)の再現なのだ。

    21日朝食(給食):パン、ソーセージと大豆・芽キャベツのスープ、マッシュポテト、マーマレード、バター、コーヒー

    マッシュポテトは粉末をスキムミルクで溶いて練った物だ。
    当時も同じ方法の物があったそうである。
    スープの実にいいにおいがあたりに立ちこめ、給食準備完了。
    各自に配給され全員着席した所でいただく。
    前夜、凍死しそうだった体をスープが生き返らせる。
    まさに天国の味だ。ほんとおいしいスープだ。
    マッシュポテトをスープに添えて食べてみるとこれもいける。

    昔、戦争映画で見てあこがれた、飯ごうの蓋の中の半固形物状の食物を30年を経た今、喰っているのだ、夢が現実になっているのだ。ドイツ軍の飯ごうで、ドイツ軍のスプーンで、SSの軍服姿で。
    目頭が熱くなり眼鏡が曇った。

    昼前に夕食材料の買い出しと天候の情報収集に駅までタニー・クラフトフェルト隊長、ノード高級小隊指揮官と降りた。
    タニー隊長は翌日の部隊会議のため電車で下山されたのだ。
    脇に四輪駆動車のパトカーが止まっている登山相談所と書かれた交番にノード高級小隊指揮官と共に入った。
    雪が激しくなり通行止めになるかも知れないとのこと。
    早速、戻り報告。
    氷川のキャンプ地まで後退することが検討された。
    キャンプ地へは小官が偵察に向かい接収可能を確認。
    昼食後、撤収することが決まった。

    21日昼食(給食):パン、ソーセージ、ジャーマンポテト、人参と小玉葱のソテー、プディング、マーマレード、バター、コーヒー。

    状況が状況だけに速攻で調理できるソテーがメニューに上ったが、プディングは朝から準備されていて川の冷水ですっかり凝固していたのは驚きであった。

    冷蔵庫もないのにプリン?

    と小官は最後まで疑っていたのである。
    子供の頃、よく作ってもらったハウスママプリンを思い出し感激。

    食後はてきぱきと撤収作業を実施し、氷川キャンプ場に向かう。
    バンガローは温かくチョコレートケーキとコーヒーで休息した。
    後方の司令部の気分だ。屋根のある小屋のありがたさを身に滲みて感じた。
    今回戦闘はないが屋外の極寒という状況で味わう甘いお菓子や温かいコーヒーは格別どころではなく体全身が生き返る心持ちである。
    米軍の携行食糧のなかに甘い物が多いのもうなずける。

    夕食は豪華なメニューとなった。
    準備も大変なので全員で野菜を切ったり剥いたりした。
    小官はジャガイモの芽を取り茹でることを担当した。
    沸騰後40分茹でろとの指令を遂行。
    35分経過したので茹で具合をみようとフォークを刺した。
    グー!
    さらにおたまですくおうとした瞬間、ジャガイモは地面に落下!

    「はい、シュタウ二等兵は、芋なしね」・・・・・・・・またやってしまった。

    隣ではシチュー鍋が良い香りだ。
    タマネギ、人参、ピーマン、トマト、豚肉が入った豪華版だ。

    ジャガイモが茹で上がり、やがてシチューが完成し、最後の副食のシュニツェルが焼かれ始めた。
    シュニツェルとは薄い牛肉のカツレツで本格的なドイツ家庭料理だ。

    夕食(給食):ライ麦パン、肉と野菜のシチュー、シュニツェル、ザワークラウト、茹でたジャガイモ、リンゴ、マーマレード、バター、コーヒー、白ワイン。

    丸太小屋で食べる夕食は格別であった。
    シュニツェルは火力の問題で多少柔らかでぱりっとしたカツレツとはいかなかったけれど、シチューはさまざまな味のハーモニーで絶品であった。
    親切なサキエル突撃兵からジャガイモを半分分けていただいた。
    また、今回、ザワークラウト、マーマレードなどはすべてドイツ輸入食料品で揃えられるという凝りようだった。

    その夜は部屋をコンロでお湯を沸かして温めておいたので全員温かく就寝できた。

    99/03/22 第三日目
    22日朝食(戦闘食):パン、サラミ、マーマレード、バター、コヒー。ザワークラウトのスープが特別に配給された。

    嵐一過の快晴である。
    水道で洗面し、サラミとパン、コーヒーの簡単な朝食に特別にザワークラウト入りスープが出た。
    本日の朝食は当時の携行食糧の再現ということであるので、調理はしないサラミとパンだけ。
    パンのかわりにクラッカーということもあったらしい。
    スープは特別配給だ。
    前日、一缶開封したものの残りだが酸味が効いている。

    食後は撤収準備とテント干しだ。
    本日は結構、風が強くよく乾いた。

    その後、迷彩ツェルトバーンをつなぎ合わせてテントの再現をした。
    一人一枚を携帯しているので4枚つないだテントで4人分と言うことになる。
    真ん中の支柱の上に迷彩カバー付きのヘルメットを乗せて雨よけにするらしい。
    広さ的には、なんとか寝られそうだ。
    また、一人用の張り方も再現し畳み方も連隊長にご教授いただいた。

    小官は写真撮影のモデルという栄誉をいただいた。
    まずは4人用から飯ごうをぶら下げて嬉しそうに食事の配給に這い出してくる雰囲気。
    一人用に潜り込み、ひとり頬杖をついて不安げな表情。
    特に一人用に潜り込んだときの気分は特別の感慨があった。
    このツェルトで春から秋までの野営はばっちりだ。冬は死ぬだろう。

    迷彩ツェルトバーンによるテント。
    左は4枚張合せの4人用。右は1枚による個人用。
    2人用は個人用を2つ向かい合わせに結合し、3人用は4人用より1面少ない3面構成となる。
    4人用の頂部はヘルメットを被せて、雨避けにしている。
    面によって迷彩パターンが異なっているが、当時も必ずしも同じ柄のツェルトバーンが支給されていたとは限らず、このような例も存在する。が、次回はパターンを合わせて設営したいものだ。
    これらのテントで過ごせるのは春〜夏に限られ、この季節には向かない。

    こうして貴重な体験は終わった。
    最後は連隊長の訓示と敬礼で締めくくられた。
    平和のありがたさを改めて噛みしめるこの活動を今後も続けていこうと思う。

    以上
    第二小隊 M.シュタウデインガーSS狙撃兵