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SS山岳部隊

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    Leibermusterとは

     Leibermuster(ライバームスター)とは、大戦末期のドイツにおいて開発されたとされている迷彩パターンの事である。直訳すると Leiber =体/生命、muster=パターンとなり、英語圏では”Body patern” と呼ばれる事もある。一見何の事やら良く分からない名称であるが、この迷彩の墨を流したような黒色パターンの部分が、アメーバが分裂する時の様を連想させる事からの命名なのだそうで、従ってこの場合、”Leiber” は、「生き物っぽい」程度の意味で用いられているようだ。

    ライバームスター参考サイト
    http://www.kamouflage.net/camouflage/en_00059.php

     迷彩パターンは、ダークグリーン、ライトグリーン、赤、黒、タンの5色から構成されており、白色乃至はライトグレーの生地にプリントされいる。所々に白い部分が見られるが、これはプリントずれによって、生地の色が見えているためである。各色に用いられている染料は次の通り。

    ダークグリーン :インダンスレン ブリリアントグリーン4G
    ライトグリーン :同上。但し1:1の比率に薄めている。
    :インダンスレン スカーレットGG
    :アニリンブラック
    タン :インダンスレン ブラウンTMZ 及び、
     インダンスレン イエローG及び、
     インダンスレン ブリリアントグリーンB

    (M.D.Beaver & J.F.Borsarello, Camouflage uniforms of the Waffen-SS, Schiffer, 2004, P258 より作成)

     「インダンスレン」とはドイツのBASF社製のスレン系染料であり、染料会社に問い合わせてみた所、現在でも同系統の染料は染料メーカー各社で生産されているが、日本を含めた西側先進諸国では余り使われなくなっているそうである。例えば日本においては、糸の染色に使用されることはあるが、プリントには余り用いなくなってきているとの事であった。後述するライバー迷彩服の贋作が主に東欧圏で作られている理由の一つとして、こういった染料の事情があるのかも知れない。
     黒色部には光の吸収効率の良いアニリン染料が使用され、これは赤外線暗視装置に対しても迷彩パターンを顕示し得ることから、開発においては赤外線暗視装置対策も考慮されていたとされている。もしこれが偶然の産物でなければ、当時としては最も先進的な発想による迷彩(飛躍感すら覚える)であると言えよう。
     尚、印刷はローラープリントで、各パターンのローラーのサイズ(円周)は次の通りである。

    黒・大 :44.1cm
    黒・小 :50.5cm
    :46.2cm
    緑・大 :48.2cm
    緑・小 :49cm
    タン :50cm

    (M.D.Beaver & J.F.Borsarello, 前掲書, P258 より作成)

     現在の所、ライバー迷彩の実在を示唆する写真や書類は、殆ど発見されておらず、唯一知られているのが、戦後間もない1945年7月20日に作成された、米陸軍補給総監部のリチャードソン大尉(Francis S. Richardson)が作成したとされる、「リチャードソン・レポート」と呼ばれる文書である。正式には、”Camouflage Fabrics both Plan and Printed for Military Use by the German SS and German Army” というタイトルで、「SSとドイツ陸軍の為に計画及び印刷された迷彩生地」といった趣旨である。上の表に纏めた情報も、リチャードソン・レポートをその出典としている。
     報告書の内容はライバー迷彩を始めとする独軍迷彩生地の製造方法や、迷彩効果に関する実験結果と考察が主であり、この中で、陸軍のスプリットパターン、SSのドットパターン等と共にライバー迷彩の赤外線映像下における視認性についての実験結果も報告されている。また、同報告書では、ライバー迷彩を使用した被服・装備品として、4ポケジャケット、ズボン、鍔付野戦帽、防寒パルカ、ツェルトバーンが挙げられており、防寒パルカ及びツエルト用と思われるスムースな織りの生地にプリントされた迷彩パターンのサンプルが添付されている。
     一方、現在、「実物」として良く知られているのが、同報告書に言及が無い2ポケの短ジャケットとズボンの組み合わせである。この短ジャケットとズボンは、その素材も「リチャードソン・レポート」に添付されているスムースな生地とは異なる、HBT生地であり、従って、何を根拠に「実物」としているのか、一抹の疑わしさを拭いきれないアイテムと言えよう。これ以外にも、年々、迷彩規格帽、防寒パルカ等が続々と「発見」されており、一昨年は遂にライバー柄のパンツアージャケット迄登場した。
     こうした近年続々と発見されているライバーアイテムの多くは、原反(これ迄数例が知られている)を利用して製作したり、新規に製作した迷彩生地(東欧の贋作屋が製造している)を用いて製作されたものであるようで、最近海外の書物に「ライバー着用の実例写真」として掲載されたモノクロ写真も、こうしたアイテムを用いて最近撮影された贋作の可能性が高いとされており、物議を醸している。


    ■遂に発見? ライバー着用例写真

     これがその、ライバー迷彩服実在の証拠として、ネット上に流出している写真である。
     左の写真は、恐らく最近発行された書物に掲載されているものと同じ写真だと思われ、1945年にベルリンで撮影されたものと言われているのだが、

     1.陸軍、SS、HJ と被写体が雑多である。
     2.左から3人目が、大戦末期の兵卒としては栄養状態が良過ぎる。
     3.サスペンダーをしているのに、アンモポーチ等の装備品が見受けられない。

     等、不自然な点が多いとされている。
     一方右の写真は、ハーフトラックで移動中のシーンを捕らえた組写真(或いは動画フィルム)の中の1枚なのだが、確かにライバーと言われればそのようにも見えるし、国防軍のスプリットパターンの暗色部が強調されているだけと言われればそのようにも見え、やはり決め手には欠ける印象である。

     これらの写真については、あちこちの掲示板等で議論されているが、どうもリエナクターがイベントか何かで、それらしく撮ったのではないか? という意見も多いようである。確かに、欧米人がレプリカのライバー迷彩服(上述の通り、東欧で製作されている)を着用し、当時物のカメラ&レンズ(国内でも中古カメラ屋に行けばゴロゴロしている)で撮影したならば、こうした「いかにも」といった雰囲気の写真を撮ることも充分可能であろう。

     いずれにせよ、どちらの写真も出所ははっきりしないようで、このように、その気になれば幾らでもそれらしい写真を撮れることが分かっている以上、これらの写真をもって直ちにライバー実在の証拠とするのは危険であろうかと思う。資料/史料はやはり出所/来歴が確かでないと、資料/資料足り得ないものである。


    ■誰が開発したのか?

     開発の経緯に関しても諸説入り乱れており、SSによって開発されたとする説、国防軍によって開発されたとする説、戦後になってから開発されたという説の他、珍説・奇説の類も少なくない。
     以下に主だった説を概観してみよう。

    ●SS開発説

     現時点で最も支持を得ているのがSS開発説であろう。
     『Camouflage uniforms of the Waffen-SS』(M.D.Beaver & J.F.Borsarello, Schiffer, 2004) や、ボルサレロ氏のその他の一連著作によれば、ライバー迷彩は、SSにおける迷彩開発を主導してきたシック教授を中心に、ケヒラーSS大尉、クルークSS大尉、フィッシャーSS大尉らのグループによって、ミュンヘン10番街のカールシュトラッセ33番に所在したSS被服工場にて開発されたそうである。
     生産は諸般の事情から1945年1月15日以降との事で、製造された迷彩装備の一部はリトアニアのリガに展開していたSS外国人義勇部隊(リトアニア第1師団)によって使用されたそうである(上掲書P258)。リトアニアを含むクーアラントでライバー迷彩が使用されていたという話しの出所は、武装SSの戦友会報に掲載された記事とされているが、私は実際にそれを読んだことはないので、どのような話しが掲載されていたのか、詳細は不明である。
     尚、SS開発説には、あくまでも武装SS用の装備として開発されたという説と、開発はSSだが、ドイツ全軍の共通装備として支給される予定だったとする説とに分かれている。

    ●国防軍開発説

     ドイツ全軍共通の新装備として、国防軍が開発したとする説である。根拠はスプリット迷彩の上にライバーの黒パターンがオーバープリントされたジャケットの存在である。また、ウォーターパターンが、ライバーの赤及び緑のパターンの原形となったと主張する人もいる。つまり、ウォーターパターンに黒のアメーバパターンを加えることで、ライバー迷彩に進化したのではないか? ということのようである。
     もっとも、件のジャケットが本当に実物であるかどうかという抜本的な疑問も残っており、また、ウォーターパターンとライバーとの関連についても想像の域を超えるものではない。

    ●ペーネミュンデ研究所開発説

     V-2 を始めとするロケット兵器や関連施設を連合軍機による赤外線撮影から隠匿することを目的として、フォン・ブラウン博士を中心に、ペーネミュンデ研究所で開発された迷彩パターンであるとする説である。ペーネミュンデは当初陸軍の管轄であったが、1944年7月以降はSSの管轄(しかもトンデモ研究で有名な人種移住局・アーネンエルベ協会の管轄)となっており、これを受けて武装SSでもSS Werfer Abt. 500 がV-2 運用部隊として編成されている。
     確かにV-2 の迷彩塗装の中には、黒のアメーバ状のパターンがあるものも存在しているが、これとライバー迷彩とを結び付けるのは少々乱暴であろう。また、ライバー迷彩は赤外線照射による暗視装置に対して効果があるのであって、被写体自身が発する赤外線に感応する赤外線フィルムに対しての効果はまた別であるし、そもそも当時、連合軍による赤外線撮影が脅威とされたという証拠が無い。
     陸軍からSSに開発が引き継がれたという点で、上記2説の折衷案のようなものであるが、ロケット開発のフォン・ブラウン博士の名前が出てくる時点で、「ナチUFO」並の珍説・奇説の類と言えよう。主にドイツと米国の一部のマニアの間で唱えられている説のようである。

    ●戦後チェコ軍開発説

     これは厳密には、パターン自体の開発ではなく、HBTの短ジャケットとズボンからなる2ピースの迷彩服が50年代始めのチェコ軍の物なのではないか? という説である。
     良く知られているように、ドイツ占領下のチェコでは、ドイツ軍向けに兵器や装備品の生産が行われており、ヘッツァー駆逐戦車やSdkfz.251装甲兵員輸送車等、戦後も暫くチェコ軍向けに生産されていたものも多かった。この為、初期のチェコ軍は軍装や装備の面において、ドイツ軍そのままという物が多かったのであるが、このライバー迷彩服も生地やボタンはドイツ軍向けに製造していたものを流用して生産されたものではないか? とされている。
     1955年頃には、良く知られているライバー迷彩の防寒服(フード付パルカ、オーバーパンツ、ミトンの組み合わせ)が登場することもこの説を補強するが、緑や赤の色調と黒のアメーバパターンの形状に相違が認められる。本説によれば、これは初期のライバー迷彩に改良を加えた結果ということのようだが、果たしてどうであろうか?
     一方、スイス軍は50年代にチェコからヘッツァーを購入し装備しており、ライバー迷彩もこうした両国間の軍事的な交流を通じて、チェコからスイスにもたらされたとされている。これが事実だとするならば、スイスライバーがチェコ軍の防寒服に用いられた物よりも、大戦末期にドイツ軍によって開発されたといわれる物により近いことを考え併せると、両者の間を繋ぐ存在として、少なくともドイツ軍ライバーと言われている物がチェコに存在していなければならず、この辺が確認されれば、本説の蓋然性は高くなるのではないかと思われる。

    ●戦後西独軍開発説

     1955年の西独連邦軍創設において、陸軍の野戦服にライバー迷彩が採用されたことは良く知られているが、『Entschieden fuer Frieden. 50 Jahre Bundeswehr. 1955-2005』(Juergen Bremm, u.a., Rombach, 2005)等によれば、この迷彩は、ナチス時代の影響を排除する目的で開発/採用されたとされている。つまり、この説に従うのであれば、ライバー迷彩は戦後になってから西ドイツで開発されたということになろう。
     確かにライバー迷彩は、それまでの国防軍やSSの迷彩パターンとは隔絶した感のある、「ドイツ軍っぽくない」パターンであり、また、非ナチ化法が強力に推進され、ナチスの排除に躍起になっていた西ドイツをはじめとする欧州各国で採用された事実は本説を肯定するように思える。
     その一方で、ライバー迷彩やこれの影響を受けたと思しき迷彩パターンを採用したのが、西独、東独、チェコ、スイス、スペイン、ベルギーと、いずれもナチス・ドイツと深い関係にある国ばかりである点は、大戦末期にSSなり国防軍なりが開発したとする説に有利なように思える。特に、西独(製造はベルギーなので、ベルギーも)、スイス、チェコの3国は、別段同盟関係にある訳でもないのに、1950年代中頃にほぼ一斉にライバー迷彩を採用しており、これは何がしかの共通した原形の存在を強く想起させるものであり、仮にライバー迷彩が戦後の西独で開発されたものだとするならば、どのような経緯でこれらの国々に伝播していったのかを解明する必要があろう。


    ■戦後の欧州各国におけるライバームスター

     前段でも軽く触れたが、ライバー迷彩は戦後の欧州各国軍で採用されされている。
     これ迄知られているのは、西独、ベルギー、スイス、チェコ・スロバキアの各国であるが、スペインも色調は異なるものの、良く似た柄の迷彩を採用していたし、東独でもライバー迷彩の影響を受けたと考えられるパターンを採用していた。以下、各国のライバー迷彩について見て行くことにする。

    ●西独軍ライバームスター

     大戦中に開発されていたとされるパターンに最も近いのが、西独軍のものであり、パターン、色調共に、大戦末期に開発されたとされる物と殆ど同じであるが、生地の裏がOD色でプリントされている点のみ異なるとされている。装備品自体はベルギーにて製造したらしく、従ってベルギー軍用とされる物は、西独軍用と同一のものである。アイテムとしては、フード付のジャケット(スイス軍の物に似ている)、野戦帽、メットカバー、ツエルトバーン(着脱式のフードと袖がついており、雨具としても使用可)が知られている。
     西独軍による使用期間はごく短かったようで、私の知る限り、初出は1955年の西独軍創設時であり、1957年に撮影された新兵への装備支給シーンにて、折り畳まれたライバー迷彩服が認められるものの、1958年以降の使用例は確認できていない。

    西独軍ライバームスター参考サイト

    ●スイス軍ライバームスター

     次に近いのが、1955〜1995年迄使用されていた、Alpenflage(アルペンフラージュ)とも呼ばれているスイス軍のものである。本来はプリントずれであった白色部が図案として取り込まれていたり、全体に色が濃い(特に赤)等、細かな相違はあるが、パターン自体はほぼそのままである。比較的最近迄使われていたこともあり、サープラス品として多く市場に出回っている事から、ライバー=スイス軍迷彩と思っている人も多いようである。

    スイス軍ライバームスター参考サイト

    ●チェコ軍ライバームスター

     1955年に採用されたチェコ軍のものは、黒色部分の形状が、ソ連のアメーバパターンのような雰囲気になっており、緑の色合いがより青味が強く、プリントズレによる白色部がないものになっているのが特徴であるが、緑と赤のパターン自体は、大体同じである。

    チェコ軍ライバームスター参考サイト

     一番下のリンク先にある写真は、ライバーファンの間では有名な写真の一つであるが、サイドカーや銃、装備品がドイツ軍のものと酷似している(銃は独軍でも使用していた)ので、一見、防寒パルカに身を包んだドイツ兵に見えないこともない。最近は余り耳にしないが、10年程前には、こうした戦後のライバー着用写真にヒントを得て、大戦中の独軍で開発されたという話しをデッチ上げたのではないか、という話しもちらほら聞かれたが、確かにこういう写真を見ると、その可能性もあるような気がしてこないでもない。

    ●東独軍迷彩

     東独軍迷彩としては、1957年頃に採用されたフレッヒェンターンムスター乃至はブルーメンムスターと呼ばれる迷彩パターン(国内では「木の葉迷彩」と呼ばれる事が多い)が、やはりライバー迷彩の影響を受けているとしばしば指摘されている。こちらはどちらかと言うと、ライバー迷彩から黒のアメーバパターンを取り除いた、緑と赤のパターンの部分に似ている。

    東独軍フレッヒェンターンムスター/ブルーメンムスター参考サイト

    ●スペイン軍アメーバ迷彩

     1962〜1982年頃にかけて使用されたパターンで、ライバー迷彩の影響が色濃く伺える迷彩である。色調や色数、パターンの細部には幾つかのヴァリエーションがあるようであるが、基本は明るいオリーブドラブ乃至はベージュ地の上に、赤と緑のアメーバパターン(ライバーの黒パターンのような雰囲気)がプリントされるというものである。これに黒のアメーバが加わったものも存在している。
     戦後、スペインには多くのドイツ軍人や親衛隊員、技術者/科学者が亡命しており、そうした人々がこの迷彩の開発にも関わっていたと囁かれているが、採用年代を考えると西独軍やスイス軍の物を参考にしたという線も考えられなくもない。
     例えば、1980年代に西独軍にてフレックターンムスターが採用されて以降、デンマーク、ベルギー、ルーマニア、日本、中国等でも類似のパターンが採用されている。フレックターンムスターは元を辿ればSSのドット迷彩に辿りつくが、だからと言って、こうした国々の迷彩パターンはドット迷彩を直接参照して開発された訳ではなく、フレックターンムスターの影響を受けることで、結果としてドット迷彩に似たパターンとなったに過ぎない。従って、このスペイン軍アメーバ迷彩も、亡命ドイツ人が直接指導して開発したと考えるよりも、スイス軍あたりの迷彩を参考にした結果、ライバームスター風な図柄になったのではなかろうか?

    スペイン軍アメーバー迷彩参考サイト


    ■今後の課題

     ナチスの糾弾に躍起になっていた戦後の欧州各国、特に西独で採用されたという事自体、SS によって開発されたという説に暗い影を落としているように思えるし、大戦末期にライバー迷彩が開発されたことを示す直接的な証拠(着用写真や、開発に関する命令書等)がドイツ国内の資料からは発見されておらず、1950年代中頃から欧州各国で使用されるようになった事を考えると、開発自体が戦後に行われた事を示唆しているようにも現時点では思えるのであるが、勿論、今後、大戦末期に開発されたことを示す証拠が発見される可能性は残っており、また、そうした史料の発掘が急務であると言えよう。大戦中のドイツ国内史料だけでなく、ライバー迷彩採用当時の西独、スイス、チェコ各国の史料にあたってみることも、ライバー迷彩の開発と採用に関する事実解明には必要なアプローチであろうと思う。
     いずれにせよ、ライバー迷彩は、大戦末期にSS乃至は国防軍によって開発された可能性を含め、出所のはっきりしない、「謎の迷彩パターン」であると言えよう。