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SS山岳部隊

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    2010.01.20 | Equipment, Military Band

    LSSAH Schellenbaum

    当隊の金属器時代の幕開けは意外にも銃火器ではなく楽器から始まったと言えば驚かれる方もあろうがこれは真実である。
    そもそも当隊は黒服軍楽隊の再現活動とリネアクト活動が二大活動であり、軍楽隊は2000年頃には既に音楽的完成の域に達し、ドイツをはじめとする各国の2次戦ベテラン(実戦経験者)からもその再現性の高さについてはお墨付きをもらうまでになっていた。
    さてここでドイツの吹奏楽について詳細を述べることはしないが、ドイツのマーチングバンドに欠かせない「楽器」はシェーレンバウム(英語ではジングル・ジョニー)と呼ばれる馬印(日本に合致するものがなく、戦国時代の馬印が一番形状や機能上近い)である。

    元々は世界で最初に音楽を軍事と結び付けて軍楽隊を創設したオスマントルコ帝国が軍楽隊の象徴として天文学とイスラム教の意匠(月、星、太陽)を凝らした飾り棒を採用したことに始まる。 従ってシェーレンバウムはトルコ帝国の影響下にあったロシア、ギリシア、バルカン諸国、オーストリア、ドイツの軍楽隊でも採用されることになった。
    モーツアルトのトルコ行進曲の由来はあまりにも有名であるが、当時のトルコは文化先進国であり、欧州各国はトルコの文物を競って模倣していたのである。

    さてドイツの吹奏楽団(特にマーチングバンド)は官民を問わず現在に至るもシェーレンバウムを備えるのが当然とされているが、ナチ政権下の約15年には当然のことながら軍国主義や文化宣揚のわかり易い装飾として華美なシェーレンバウムが大量に使われたのであり、当時の軍楽隊の写真やパレードの映像には必ずこれが登場するのである。
    この実物が日本にないかと様々なドイツ風吹奏楽団に聞いたのだが、存在も知らないことが多く、やっと東京のあるドイツビアホールに実物が飾られているのを発見したが店員もその意味を知らず、古物だけにボロボロの状態であった。
    こうした中、当隊では一時は木製で再現することも企画され、仕様や材料の研究が進められたのである。

    そんなある日、ドイツ軍楽隊の特徴とも言える浅いスネアドラムをドイツ国内で購入しようとある田舎町の楽器店を訪ねたところ、何とショーウインドウにシェーレンバウムが飾ってあるではないか。 ああ、、これですこれです。 ずっとずっと探してました。
    店に入ると80歳すぎと思われる老紳士がカウンターの向こうから突然の日本人の訪問を驚いたように見つめている。 私は直立して言った 「自分は大日本帝国陸軍騎兵少佐である。 現在ハノーバー騎兵学校に騎兵運用の研究に留学しているが、貴店ではシェーレンバウムを製作することが可能なりや」
    すると老紳士は、19世紀から軍用シェーレンバウムを製作している老舗工房なりと胸を張った。 しかも第二次大戦期にも大量のシェーレンバウムをSSやSAに納品したとのこと。
    これはしたり、では聞くが最も美しく格調高いシェーレンバウムはどこの部隊のものか。
    それは言えない。 言えば法に触れる。 との返答。
    ではこれではないのか、私は空中にGDと指で書く。 否、否、それではないと老人は首を振る。 さすればSAと書く。 否、否。
    私はゆっくりとLSSAHと書いた。
    すると老人はあたりを見回してから、然り然りと首肯した。 
    満を持して聞く、そのシェーレンバウムをもう一度作れるか。 
    老人は長考一番、作れる、と。 しかし全く同じには作れない、それは法律の問題がある、と。
    では90%同じはどうか、と問えば、確信を持って出来ると答えた。

    私は一枚の写真を取り出して見せた。 LSSAH儀仗隊軍楽隊の最盛期の写真である。
    これと同じものが本当に出来るのか。
    老人は瞠目した。 こ、これは、わしが昔作った最高傑作じゃった。 あなたはこれを作れと言われるか。 しかしこれは、、、。 
    余が欲しているのはこれである。 これを作って欲しい。 私は懐中から封帯のかかったユーロ紙幣を取り出した。 おおよそバイエルン自動車会社のセダンが1台買える金額である。  老人の目には怖れと職人としての喜びとが交錯していたが視線の隅には常に紙幣の束を捉えていた。
    よし、わしの最期の仕事として取り組もう。 老人はそう言うとすばやく紙幣を取った。

    その日からおよそ4ヶ月、2002年6月27日、名古屋空港税関を通過した巨大な貨物が私の自宅に届いた。 消印はドイツ・エセンベルグ。 
    おお、来たか。 ついに来たか。
    釘うちされた木箱を開けるとぎっしりと真綿が詰まっており、その下から白銀に輝くシェーレンバウムが3分割されて現れた。
    おもわずため息が出るほどの美しさである。 最上の作品を作る職人の気合と喜びが直接伝わってくる。 
    金管楽器に接しているとよく美しく仕上げられた楽器を目にすることがある。中には宝飾品の域に達しているものもあり眺めているだけでも飽きないが、私の目の前にはその数十倍の大きさの世界最高最大の金管楽器があった。

    一つ一つの部品をチェックしながら私の脳裏には初めて軍楽隊を創設する会議が開催された池袋の三十三間堂の光景、、最初に黒服でリハーサルした夏の河原、ハイネケン曹長の史実通りの水平打法、 シュミット軍曹のラだけの連打、毎々間違えるルドルフ伍長のソロのふるえる指先、、行進ができないエイナル伍長、徹夜で作った各軍旗、デビューとなった佐野インドアフィールド、東中野の映画館、戦争のはらわたおかま大会、数々の演奏シーン、元SS隊員ゲアハルト氏のポロポロ落ちる涙、、、、席を立って出ていった英国人観客、、、98年以来4年に亙るLAH軍楽隊の名場面が浮かんでは消えて、不覚にも目頭が熱くなった。

    私は参集した軍楽隊員達を前にして言った。
    諸君、やっとたどりつきました。 ドイツ軍楽隊として不可欠の楽器であるシェーレンバウムが当隊に来ました。
    一杯飲もうじゃないか。 みんな本当によくやってくれた。 無理も難題もふっかけたが、よく応えてくれた。 ありがとう。
    軍楽隊長として心から御礼する。 諸君は4年前と今とでは見違えるようだ。
    小官にはトルシエの気持ちがよくわかる。
    シェーレンバウムを先頭にLAHマーチとバーデンヴァイラーで行進するまでやろうじゃないか。
    この楽器はLAHでは最も身長が高かったゲアハルト・シュタウベル伍長が捧持係だったという。
    当隊の栄えあるシェーレンバウム手はヨハン上等兵とする。 軍楽隊の行くところかならずシェーレンバウムを捧持せよ。

    こうして日本で唯一の実用シェーレンバウムが我々の活動に華を添えることとなり、その披露が2002年12月15日にニューオータニで開催された軍装夜会1936の会場で行われることとなった。

    ところで実物との相違点は以下の通りである。
    実に些細な部分なのでほとんどわからないと思うが実証的に違うものは違う。

    *小旗の吊り下げ紐 → クサリ
    *小旗のタッセルの形状が違う→実物より立派
    *小旗上辺のフリンジがない
    *小旗の柏葉刺繍の向きが上下逆
    *ワシ竿冠の足元の飾り形状が違う
    *大ベルの彫刻模様が省略されている
    *各ジョイント部分の彫金模様が簡略化されている
    *馬しっぽ房の量が少々足りない

    驚いたことにモロー本の絵は8点星の先がM型になってる(日本の旭日章の先端と同じ)が、これは国防軍用シェーレンバウムの意匠でありSS用は剣の先端の様に尖っているのが正しい。 それが何と現品ではちゃんと実物と同じトンガリ先端となっている。
    この様に細部を正しく製作出来るのは、かつてこれを作ったことがあるからに相違ない。
    さもなくば数からして圧倒的に多かったであろう国防軍用の意匠を正としてしまうはずである。

    やがて件の老人の息子から手紙が届いた。
    最期のシェーレンバウムを製作して間もなく彼は眠るように静かに逝去したと。
    その夜軍楽隊は正装し、シェーレンバウムと連隊旗、大隊旗を立て、ドイツの空にあたる西北方向に一線に堵列して儀仗小隊の弔砲に合わせてSS葬送曲を演奏した。
    静まり返った山間に銃声が殷々とこだまする。 ルドルフやノルトのペットはすすり泣いている。 
    その夜我々は静中に動を秘めたその魂をしかと受けとめた、と思った。

    特注で製作したLSSAHシェレンバウム(左)とその原形となった市販品であるNr.250モデル(右)。
    比較してみると、細部にかなり手が入っていることが分かる。

    2010.01.01 | Flags, Military Band

    LSSAH Standarte

    十余年に及ぶ当隊の活動史において、必要となった装備品をその製作技法の面から振り返ってみると、凡そ次のような発展段階を経てきたと言える。

    発展段階
    年 代
    主な製作物

    粘土文明期
    1997-2000
    プラ勲章、連隊旗、SSロウソク立て等

    木工文明期
    2000-2005
    PAK40、M4シャーマン、連隊旗等

    板金文明期
    2005〜
    シェーレンバウム、キューベルワーゲン、4号戦車

    この内、木工文明期における諸作品の中で最高傑作と言えるのが、LSSAH連隊旗である。
    実はこの連隊旗、粘土文明期の製作物欄にも記されているように、創隊間もない頃に一度製作されており、上の写真に見えるものは、それを基にして木工文明期にリメイクされた作品である。

    初代連隊旗が製作されたのは1999年1月。
    その年のV-MATだったかブラックホールだったかに軍楽隊として出動する際の小道具として製作したように記憶している。
    竿冠の鷲の部分は東急ハンズで購入した発泡スチロール製のハトの翼を切り取って、鷲っぽくなるように角度を調整して接着。その上から紙粘土を盛りつけて彫刻刀にてディティールを彫り上げ、金塗料にて塗装。
    柏葉環は同じくハンズで見つけたアクリル環の上に紙粘土を盛り、その上に紙から切り出して作った柏葉を接着して塗装。ハーケンクロイツはプラ板の積層であった。
    連隊名の入った箱部分はボール紙製で、その上から「Adolf Hitler」の文字を紙から切り出して貼り付けていた。

    木工文明期に入ると、この初代連隊旗の箱部分は木で製作し直され、連隊名もレリーフで処理され、見た目と耐久性の向上が図られた。
    しかし、紙粘土で肥大した鷲部分がかなりの重量になっており、そのバランスの悪さから運用中に倒れて破損することが多く、接着/補修を繰り返した結果、見るも無惨な姿になってしまった。

    そこで、もっとしっかりした材料で作り直そうということになり、この初代連隊旗を木工工房に持ち込んで、これを原形として再制作されたのが、現在も使用している2代目連隊旗である。
    何しろ竿冠部分(鷲+柏葉環)は一つのオーク材ブロックからの削り出しであり、強度は抜群。
    ディティールもシャープ且つ精巧で素晴らしい出来映えである。
    連隊名の入る箱部分もオークの板材の組合わせで製作されており、連隊名とその周囲の飾りは勿論レリーフ。正に木工文明期を締めくくるに相応しい仕上がりと言えよう。

    初代連隊旗を見本としたため、鷲の表情やスタイルに紙粘土製のものの面影が見られるのも、古参隊員にとってはちょっと嬉しいポイントである。

    後期型連隊旗。

    1942年以降、LSSAHの連隊旗は、旗と飾り紐がこの写真のデザインのものに変更されており、当隊でも活動時の時代設定によって、初期型と後期型とを使い分けている。

    これは第9回ケ号作戦の夜に行われた、総統演説会時の模様。

    連隊旗は勿論後期型。
    右手に並ぶ当隊隊員が着用しているのは、スティーブ製のM40で、真ん中の隊員が着ている明る目の色のものは大分昔のレギュラー品。その両脇の2名が着ている暗目のものは、当隊が製作を依頼した特注品。

    総統と共に進むLSSAH連隊旗。

    旗手は当隊のバット少佐。
    尚、この後期型の旗と飾り紐は、少佐が業者に特注で織らせた物である。

    尚、連隊旗は余勢を駆って、「Germania」「Das Reich」等の他連隊のものも制作した。